恥と罪悪感

恥と罪悪感を抱くことを、しばしば混合し同じものとして捉えてしまいがちです。でも本当は全く異なる考え方です。

そこを区別して整理すると頭がすっきりするかもしれません。

恥とか行為そのものではなく自分自身の存在そのものを否定する考え方です。存在を否定することです。今ある姿を否定します。

具体的な例を挙げると、貧乏な家庭に生まれて育った、自分には何の取り柄もない、努力しても実らなかったなどです。

罪悪感とは何なのか。

自分自身の行動による過ちや自責の念、後悔から来る自己批判です。

具体的な例を挙げると、あんなことを言うんじゃなかった、あの時にこうしておけば良かった、何であの時こうしなかったのだろう、などです。やってしまったことに対する懺悔です。

すごく混合して使っている人が多いです。

例えば、

「あんなことをしてしまって自分は恥だ」

「こんなことを言ってしまう自分は価値がない」

「貧乏一家に生まれた時点で負け組である」

混合して使っているということは混合して考えているということです。

この考え方は自分の存在価値を否定をしていることになります。

存在価値の否定を習慣にしている人はやがて病気になり、鬱になり、精神衰弱を呼びます。全てがネガティブになるからです。

例えば、人がこそこそ話をしているのを見かけただけで、”私のことだ”と思ったり、他人に「よく食べるね。」と言われると”最近太ったね。と言いたいんだ”とか、「その服どこで売っているの?」と聞かれると”ダサいって思われたんだ”

全てをネガティブに捉え否定し続けるのも1つの習慣となります。

恥と罪悪感の決定的な違いは何なのか。

それは行動を伴っているのか?です。

何か間違ったことをしたことで罪悪感を感じているなら、それを学びとして2度目を起こさなければいいだけです。

人は罪悪感を感じられるから成長出来ます。

失敗したら次に同じ失敗しないように努力すればいいだけです。

一方、恥には行動が伴っていません。

行動が伴っていないことに責任なんてありません。

貧乏に生まれたなら、生まれただけの話です。

自分を責める必要なんてありません。

もっと言えば心の中で、

「あの人を心から憎んでいる」

「本当にあいつだけは許せない」

「あの人だけは好きになれない」

こう思うこと自体に罪悪感を感じている人もいます。

罪悪感は行動を伴った時に発生します。

それが態度となって現れてしまったり、言葉にしてしまったりすると罪悪感を感じるべきだと思います。

心で思うことに罪悪感なんて感じなくていいんです。

この習慣を治すために自分が恥じていることを許すといいです、そしてそれをオープンにすることです。見栄を張らない、大きく見せない、はったりをかませないということです。等身大を見せます。

知らないものは知らないと言い、出来ないことを出来ないということです。恥は価値観です、時代によって変わるしそもそもみんな価値観は違います。自分が許せていないだけです。

離婚したことは恥だ、中卒は恥だ、と思っているということは離婚した人、学歴がない人を同じ目でみることになります。人への憎悪を抱くことに罪を感じてしまうということは、人を信じる心を見失います。

罪悪感を感じたなら2度目がないように努力すればいいだけの話です。

そうやって自分の中の恥を小さく捨てていくことです。

自分の弱みを知り、そこを許すことで他人が許せるようになっていきます。

思考も習慣なのでなかなか一気には変われないと思います。

これはとっても難しいことなんだと思います。

でも、小さい恥を少しずつ捨てていくといいです。

少しずつオープンにしていきます。

断捨離をすると気持ちがいいのに似ていると思います。

そう思うとやっぱり人生を豊かにするためには、手に入れるのではなくあるものに気づくことだと思います。全てに共通する考えを手に入れれば全て同じことを言っているのに気づきます。

俺は俺だ、あなたはあなただ、それが心を豊かにするポイントだと思っています。

SimpleLife

Posted by ganchan