自分で考えることと教えること
「自分で考えろ」という時代です。人に責任をなすりつけず、自分で人生を選択していきたいです。
問題に対して常に疑問を持つこと、自分に対し正しい質問を投げかけること、起こった出来事に対して自分が出来ることは何なのか考えること、未来を自分の力で切り開いていく力を身に付けること、それは人生を前向きにさせます。
ただ、それを人に強制する、答えを教えない、自分で調べろというのは、間違っているんじゃないかなと思っています。
よく、質問すると「ぐぐれば?」「調べたら出て来るよ?」と返って来ることがあります。
これは日本人でなくても外国人もそうです。それを言ったらおしまいだよ、と僕は思うわけです。
確かにぐぐれば大概のことは答えが載っていますが、コミュニケーションの一環もあるわけです。
また、答えだけを聞きたいのではなくどうやって、その知識にたどり着いたのか、どういう思考でその答えを導いたのか、どう活かしているのか知りたいこともあります。
どう活かしているのかは教えたらいいと思います。自分で考えること、そして知ったことを教えることも大事なことです。
自分で考えることばかりを優先に捉え、人に教えないのは、その人個人自体がインプットマンになっています。
知ったことは教えるべきで、それは優しさであり、甘やかしではありません。
他人に対し「自分で考えろ」と強制する行為は、逃避でありコミュニケーションの欠如であり無責任であり横着に近いです。
「指示しないと何もしない」「一から全てを教えてやらないといけない」「セルフスターターを求む」
そればかりを掲げ、一切教えないのは間違っていると思います。
「ぐぐれば?」「自分で考えろ」「調べろ」
それは、内に問いかけ他人には教えてあげた方がいいです。