現状に満足する

現状に満足するというとおかしい言い方かもしれませんが、自分にないもの、また境遇に対して他責しては幸福はいつまで経っても訪れません。今自分にあるものにフォーカスし満足することが大切です。

それは聖書にもはっきりと書いています。

民数記の11章のストーリーを例にします。

「我々は思い起こすが、エジプトでは、ただで、魚を食べた。キュウリもスイカも、ニラも、たまねぎも、そしてにんにくも。しかし、いま、我々の精根初生きた。我々の目の前には、このマナの他何もない」

どういう場面で言っているかと言うと、奴隷だったイスラエル人はモーセによって救い出され荒野を旅することになります。しかし、肉が食べれませんでした。

イスラエル人は、エジプトでは肉が食べれたのにと、奴隷時代の方がまだマシだったというような後悔を主に対してつぶやきます。主はそれに対し、

「あなたがたに肉を与えるであろう。あなた方がエジプトの方が良かったと言ったからである。1日や2日ではなく1か月に及び、あなたの鼻から出るくらい食べらせてあげよう。あなたがたは、それに飽き果てるだろう」といいます。

その後に、肉が大量に降ってきますが、貪った人は死んでしまいます。

いつまで経っても「自分には何か足りない」と嘆く人がいます。

あの頃は良かった、あの人はこれだから幸せだ、でも私にはそれがないから。

それはきっとないのではなく気づいていないだけだと知るべきです。

僕はたまに羨ましがられることがあります。

「若く見えるね」「しっかりしている」「物覚えが早いね」

でも、僕がそのことに関して満足しているかは別問題です。

僕が求めているのは若さでもなく、物覚えが早いことではないです。

そうなれば現状に満足しないと思います。それは幸福ではありません。

僕は別のところに重点をおいて生活をしていますが、そこに対して満足しているから僕は幸福を感じます。

僕は家族を持っていることに満足します。両親が健全なことに感謝します。

毎朝、ギターをする時間、聖書を読む時間、仕事で没頭出来ること、英語がほんの少しずつでも上達していることに感謝します。それだけで満足です、子供が笑うと幸せです。

お金がいくらあってもそれは買えるわけでもなく、他人から与えられるものでもないです。

ないものもたくさんあります。悔しい時もあるし、悲しい時もあります。

ないものを数えるとネガティブになってメリットが1つもないです。

なので自分自身が今あることに気付くことです、無いもの探しはやめてあるものを大切にします。