流れに身を任すこと

自分の決めた道にうまく進めない時、もどかしさや悔しさがあります。特に受験、就活は1度しかチャンスがありません。希望通りにいかないことで絶望を感じる人もいると思います。

しかし、自分の出来ることに全力を注いだのなら後は身を任すべきです。

実際に自分の決めた道に定石通り進むことが必ずしも幸せへの道とは限りません。

そのことは僕自身の受験や就活の失敗などからも学びました。

例えば、僕は高校には第一希望校へ入学することが出来ませんでした。

第一希望の国立高校の受験に失敗したからです。公立の高校は合格し、またその時に滑り止めで受験した私立高校は特待生で合格することが出来ました。これは模範生徒となれば授業料その他が無料になる制度です。これを羨ましがる人がいましたが、僕はそんなもの欲しくないわけです。1つも嬉しくなかったです。

結果、希望は叶わず2つの道から選択しなければなりませんでした。

結果的に僕は公立高校に入学しましたが、本当は国立高校に行きたかったです。

不合格になった時に「この日の為に3年間頑張ったのに。」と絶望しました。

全ての道が絶たれたような気分になります。全てがどうでも良くなりました。

でも今思えば、自分の決めた道に行けたからといって、それが自分にとって最善の道とは限りません。国立の高校ではいじめにあったり、悪い仲間とつるむようになったかもしれません。また勉強についていけず中退せざるを得ないかもしれません。またそこは理系の高校でしたが、理系の就職先は自分を苦しめるものだったかもしれません。僕は結果として公立高校を選択しましが、そこで現在の妻との出会いがありました。それは神様が僕の為に導いてくれた道だったと思います。

その後高校を卒業し大学入学しましたが、当時やりたいこともなく、また無駄に毎年100万円も卒業証書をもらうために通うことは馬鹿げていると思いました。

僕は中退を決意しましたが、辞めらされたとも思っています。僕にとって辞めるが吉だったんだろうと、それは神により導かれた結果です。

大学を辞めたことは僕にとってコンプレックスとなりました。本を100冊読んだら大卒レベルの学力を得ることが出来ると何かの情報で知り、22歳になるまでに絶対本を100冊読むことを決心して生活しました。その本で得るものは大卒以上の価値があったと思います。

就活も苦労しました、落ちれば落ちるほど自己否定してしまいます。また、自分の価値の低さに悲しくなります。それでも受け入れてくれる会社がどこかあり働かせてもらっていますが、僕の人生は、自分の頭で描いていた人生と全く違います。そのギャップに苦しむことがあります。

しかし逆に希望通りにいかないからといって、常に絶望を感じるほどの不幸を経験したかといえば、それもないです。

自分の理想と現実のギャップで苦しみますが、いつだって生活は少しの幸せと少しの苦労がついてきます。それはどの道を辿っても一緒だと思っています。自分の決めた道に希望通りいったこともありますが、始めは幸福感に満ちますが、後は同じように少しの幸せと少しの苦労です。これは物を買った時の一瞬の幸福感に似ています。

全ては与えられたものです。全てを自分の努力の結果とコントロールによるものだと言っていてはおこがましいです。どこを通り、どこに辿り着くか、そして何を得るのかは神のみぞ知る。 僕は与えられたところで学ぶのみです。

本当に大切なものは与えられます、与えられなかったものは必要ではなかったことです。そしてその経験から学ぶ機会すら与えられています。全てに意味があり、用意されています。あとはどれだけ真剣に取り組むかだと思います。

SimpleLife

Posted by ganchan