聖書【ヨシュア記】僕が気付いたこと1

聖書を読んでいて思うことは、正しい生き方は、善を行うことでなく悪を行わないことなのではないかということです。トンデモかもしれませんが、僕はそう解釈します。

主は何度も何度も、イスラエル人の失敗に怒りながらも、それでも見守って導いて下さいます。イスラエル人は主の働きによって何度も何度もその都度助けてもらいます。主との約束さえ守ればイスラエル人は常に主の導きにより道を開いてもらえます。

しかし、主は言います。「イスラエル人が正しいから敵を滅ぼすのではなく、敵が悪いから滅ぼすのだ。」「敵が滅ぼされるのを眺めて、私が正しいからだ。と思う人は愚かである。」「主は悪が嫌いだから滅ぼすのだ。」と。

1日1善と言われて育ちましたが、善を行うことはなかなか簡単なことではないです。やり過ぎると悪になり、また正義を振りかざすことは必ずしも善とは限りません。偽善はつまらないと言いますが、そもそも善と偽善の境界線は曖昧です。完全なる善はそう簡単には人間には出来る技ではないです。

悪い行いをする人に罰を与え、「お前の為を思ってやってるんだ。」と言って聞かせ、懲らしめること、分かってもらうことは善の働きではないと思います。

善を行おうとするあまりに、また悪に耐え兼ねなくなり、鉄拳制裁を食らわしたくなる気持ちもありますが、そこから伴う行動は善ではないと思います。

善を行おうと努力するよりも悪を行わない生き方の方が賢明だと思いました。

やることを増やすよりやらないことを増やします。

そもそも罪深いので、やってはいけないことをやって後悔する方が多いです。

破滅する人の多くがやってはいけないことをやって破滅します。

ドラッグ、不倫、強盗、恐喝、自殺、詐欺、アルコール。

そこまで非日常的な事ではなくても、

例えば他人から傷つけられた時に、「やりかえしてやる」とよく言います。

これだけ傷ついたのだから、その気持ちを分からせてやると。

でも、僕はそれをおすすめしません。

主は悪が大嫌いです、ほっとけばいいです。主がその人に対し裁きます。

「主は悪が嫌いだから滅ぼすのだ。」

`一緒になって悪になる必要はありません、主が滅ぼします。

聖書

Posted by ganchan