心の内側に目を向ける理由

僕の信条はなんでも無い小さな日常を楽しむことです。

なんでも無い日常には刺激という刺激がほとんどありません。

外側に目を向けると、また客観的に見ると、何にもないただ退屈な毎日だと思うかもしれません。

逆に言えば、内面に目を向ける以外日常を楽しむ方法はないといえるかもしれません。そして、それが僕が生きていて見つけた人生を楽しむ方法の1つです。

僕の場合は、外からの刺激で楽しめるものが年々少なくなってきました。

映画を見ることも退屈になってきて、ポップスのような音楽は似たようなのばかりだし、飲み会や夜ふかしは次の日に響くし、旅行といっても弾丸だと疲れるし、混雑したところは人だかりに酔ったり、イライラしてしまうだけだし、ショッピングはお金の無駄遣いだし、小説や文学も楽しめなくなりました。

なんかこうやって書くとネガティブな感じがあると思うんです。

でも、昔は全て刺激的だったんです。

例えば、ショーシャンクの空に、タイム、レオン、タクシードライバー、ブルースブラザーズ、天使にラブソングを、などの映画はとても刺激でした。胸が熱くなってどこかしら影響を受けます。

甲本ヒロトや長渕剛、吉田拓郎や忌野清志郎、尾崎豊、オーティスレディングやジミヘンなどにもたくさん影響を受けました。ファッションや言動を真似したりするほどです。

夏目漱石や司馬遼太郎、太宰治などの文学にハマっていたこともあります。特に芥川龍之介の文体はお洒落で言葉匠みで大好きでした。遠藤周作もお気に入りの作家でした。

温泉旅行や海外旅行、USJやディズニーランドや目的のないドライブも楽しんでいた時期があります。

始発まで飲み歩いて楽しんだこともあります、クラブで激しい音楽を聴きながらお酒を飲んで、友達とそうやってはじけるのも楽しかったです。

麻雀や将棋も本で研究しながら、ゲーセンで勉強しながら勝てる方法を研究していた時期があります。そして友達より強くなろうとします。

でも僕の場合、全て長く続きませんでした。

いつか続けているうちに「しょうもない」「飽きた」という感情が自然と生まれてきます。唯一ギターだけが昔より熱が入っていますが。

少し戸惑っていた時期があります。第2の思春期かもしれません。僕はこれを20代半ばで経験しました。

「世の中面白いものなんてそうない」

「何にも面白いものなんて無いじゃないか」

「世の中しょうもないことばかり言ってるじゃないか」と。

そこを経て気づいたのが、内面に目を向けるという方法です。

外からの刺激に楽しさを求めるのではなく、自分の成長や心の変化に楽しさを求めます。

例えば、ギターを毎日練習してその成長具合を楽しむ。

英語を勉強しながら、その上達を楽しむ。

子育てをしながら、自分を犠牲にしながらもそこから深い感情を学ぶ。聖書の主と子育てする自分の父親の立場を重ねて主の立場を学ぶ。

楽しめないことや嫌なことから逃げるのではなく、どうやって克服するかゲームのように楽しむ努力をする。

腹の立つことを言われても、雑用を頼まれても、笑顔で対応する練習。(笑顔で対応出来たら、僕の方がレベルが上なので勝ち)

バスの中でスマホをつつかずジャズをゆっくり聴いて出勤する。

そうやって日常を楽しむしか、人生を楽しむ方法はないと知りました。そして不思議とそういう習慣をクセつけると日常が楽しくなります。毎日のちょっとした変化に気づけるようになります。

その変化が楽しくなってきます。

僕はこの生き方が自分にフィットしています。

多くの刺激は要りません、飽きることを知っています。

与えられるものの中に生涯楽しめるものがあるのか?

自分が死ぬまでが人生なのだから、自分の成長を楽しむことが一番おもしろいゲームじゃないかな?と思います。

それはスキルはもちろん、優しさや愛情深さ、全てにおいてです。

SimpleLife

Posted by ganchan